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| 7月29日から8月2日、沖縄県総合運動公園陸上競技場にて第63回全国高等学校陸上競技対抗選手権大会が開催されました。本校からは高校3年の和泉理久選手が三段跳に出場しましたので、これまでの経緯(成長や種目変更)と大会の模様を報告したいと思います。 | ||||||||||||||
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中学1年時、和泉選手は短距離選手として、東京都の強化選手に選出されたのを覚えています。入部当初はそれほど脚の速い印象はありませんでしたが、秋頃には12秒6くらいで走るようになりました。当時、秋の都大会(支部対抗)の中学1年生のリレー(荒井・和泉・佐々木・佐伯)で優勝したことは、今でも鮮明に覚えています。あの時は跳躍選手としてではなく、どちらかと言えば短距離選手としてこの先取り組んでいくのだろうと思っていました。そんな中、中1の11月頃府中陸上競技場で練習していた際、走高跳をやってみたところ、1m55か60くらいをクリアしたことがありました。踏み切りの速さが際立っていて、その時、「これは走高跳選手としていけるのではないか」と考えたのを覚えています。その後は定期的に走高跳の練習に取り組み、中2の秋の10ブロック大会では1m80をクリアしました。当然中学3年では1m85の全国大会標準記録突破を目標に一冬を過ごし、見事中3では全国大会出場を果たしました(リレーでは2位となり全国大会に出場できなかったのは悔しい思い出です)。全国大会では不本意な結果となりましたが、秋に行われたもうひとつの全国大会(ジュニアオリンピック)では1m86をクリアし、見事8位入賞を果たしました。 | |||||||||||||
1年間、三段跳選手として懸命に取り組んできました。春までは順調にトレーニングが積めたと思います。ただ、都大会の決勝で腰部を痛めたことは、その後のトレーニングに大きく影響しました。都大会後、南関東、そして今回のインターハイまで、ほとんど毎日動き作りやイメージトレーニングを続ける日々でした。克服したい課題は明確でしたが、それを直接練習することができない毎日の中で、今できることは何かを考え、単調な練習を続けてきました。毎日、歩行しながらの動き作りを続け、課題の克服に努めて、インターハイ当日を迎えることになりました。 試技順2番目で迎えた予選1回目、踏み切り板に若干届かないくらいで踏み切り、ホップに入りました。彼の一番の課題はホップでしっかりと腰を入れた状態で踏み切り、空中で余裕を持って接地に入ることでしたが、上手くいきませんでした。記録は14m01(+0.3)。予選通過記録は14m50。 納得のいく跳躍であったかと聞かれれば、それは否定せざるを得ないと思います。しかし、彼の中学1年から5年間に渡る取り組みは素晴らしいものがあったし、明らかに高校生選手としては精神的にも、肉体的にも高いレベルに達したと思います。それだけに、最後のインターハイではその集大成として表彰台に立って欲しい思いが強い選手でした。 インターハイを終え、今、改めて感じることは、努力すれば良い結果が待っているはずだと誰もが思っているかもしれないが、決してはそんなことはなく、ほとんどは悔しい思いをして終わることになるということです。それでも、努力した者にしか良い結果は訪れないし、そんな何の保証もない中で、如何に自分を信じ、鍛え、挑戦し続けることができるかが重要なのです
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| 最後に、和泉選手にコメントしてもらいました。 | ||||||||||||||
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「今回のインターハイでの目標は、今の自分の中でベストの跳躍をすることでした。これができれば入賞できると思っていましたし、実際に可能性はあったと思います。結果的には非常に悔しい形で終わってしまいましたが、やれることは全てやったので悔いはありません。 |
![]() 2010年度 都総体より |
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| 今回の試合は仲間や先輩にたくさん応援してもらい、何より先生にこれ以上ないサポートをしていただいただけに、結果を出せず今までで一番悔しい試合となりました。ただこの経験は今後陸上を続ける上で、貴重な経験として絶対に生きてくると思います。 引退がとてもさみしいですが、桐朋陸上部に入って良かったと心から感じています。 これからの桐朋陸上部の活躍に期待し、ずっと応援していきます。」 |
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