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平成21年度全国高校総体の陸上競技は、奈良県鴻池陸上競技場で開催されました。梅雨も明けきらぬまま近畿地方の天候は不安定で、大会前の予報では雨天が予想されましたが、参加者2名の試合当日は雨が降ることは無く、無事開催することができました。出場選手は、中学では野球部で、高校から陸上競技を始めた飯島靖成選手(高3)が走幅跳、一方中学1年から陸上部でしたが、三段跳をはじめたのは高校2年生からという丸山弘貴選手です。桐朋からIHに出場するのは久しぶりとなります。全国でも最も厳しい地区である南関東大会を通過し、まさしく「なんとか」ここまで辿り着きました。2人に対する大きな期待感もありましたが、最後となる今大会で、2人が笑顔で終わってくれることを望んでいました。7/31日に走幅跳、8/2に三段跳です。 |
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| さぁ、いよいよ夢の舞台・インターハイのはじまりです。 | ![]() |
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| 飯島選手の大会前のランキングは24位。予選通過記録は7m15となっています。自己ベストが7m09ですから、予選通過記録が自己ベスト記録よりも高いという状況は、選手にとっては心理的重圧がかかります。しかも朝10時からの予選3本でこの記録を越えていかなければなりません。本人も数日前から試合当日の起床時間と同じ時間に起き、ここまで調整してきました。アップを見ているかぎり体はよく動いていると思いました。体の調子は良さそうです。あとは「踏み切り前でスピードを低下させない=テンポアップして踏み切る」ことと「意識的に高めにジャンプする」ことの2点ができれば予選通過してくれると信じていました。 試技順は2番目、他の選手の様子がわかりませんでしたが、ここでしっかり跳躍してくれれば、例え予選通過の記録を越えられなくても2本目、3本目で修正できるはずです。一本目の跳躍。踏み切り前で「理想どおりの」テンポアップはできませんでしたが動きをまとめて7m05を跳びました。思わずガッツポーズがでてしまいました。本来彼は2本目、3本目で必ず記録を伸ばしてくれます。これなら絶対に予選通過できると思いました。2本目、「理想どおりの」テンポアップはできませんでした。1本目よりも踏み切り前で駆け上がることができず、記録も6m90台に低下しました。次で7m15を跳ばなければなりません。私自身心理的に追い込まれましたが、彼は集中力が高い上に、底知れない能力を感じさせてくれる選手ですから、彼を信じて3本目を待ちました。3本目の跳躍に備え、彼がピットに立ちました。これまでの彼の努力を考えると、最後の最後のステージ=決勝 に何が何でも進んで欲しい、進まなければならないという気持ちで一杯でした。3本目の跳躍、彼は力の限り跳躍してくれました。テンポアップはできました。意識的に高めに跳躍することもできました。しかし、踏み切り板のはるか手前で踏み切った結果、6m70台の記録となりました。 高校生からはじめた陸上競技で1年生の頃は比較的良い結果を残せましたが、2年生の時は年間を通してケガをして悔しい思いをしてきました。怪我をしている間も練習を休むことは一度たりともなかったし、今自分ができることを一生懸命やってきました。しかし、ここで終わってしまいました。反省点はあります。悔しさもあります。しかし、彼はよくやったと心から言えます。 |
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丸山選手は、昨年秋に行われた都新人で踵を痛めました。三段跳の選手が踵を痛めることはよくありますが、踵を痛めた選手が良い結果を出すことはほとんどありません。三段跳選手にとっては、致命的なケガです。今年も春に行われた都総体で同じく踵を痛めてしまいました。そこから今日に至るまでの彼の不安は想像を絶するものだったと思います。踵さえ痛くなければもっと跳べる確かな感覚があったにもかかわらず、南関東の三段跳のレベルが非常に高かったからです。一度痛めた踵はなかなか完治しません。南関東大会では痛み止めの注射を打ってなんとか通過しました。南関東大会が終了してからIHまでは40日間ありました。それだけの期間があってもおそらく踵の痛みは消えないとの予測の上でトレーニングを積んできました。そして当日朝も、痛み止めの注射を打って試合場へ向かいました。 |
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| 丸山選手の場合、中学1年生から陸上競技を続けてきています。入部当時は身体の線が細く、足が速かったわけではありませんでした。しかし、どんな練習でも「コツ」を掴むことが上手で、更に「バネ」はあるという印象でした。中学2年生頃からハードルをはじめて、中学3年生の時は都大会であと一歩で決勝に進出できるところまで成長しました。その後高校生になり、400mHを中心として、110mHに出場したり、たまに走幅跳に出場してきましたが、高校1年生の秋の練習時、思いついたように三段跳をやってみたら、粗削りながら13mくらい跳びました。記録的にもなかなかのものですが、それ以上に惹きつけられたのは、三段跳初心者にしてはステップでの伸びが素晴らしいというところでした。(三段跳を初めてやる人でステップ動作をつくることはほとんどできません。)そこから本格的に三段跳を続けてきました。 一方飯島選手の場合、高校から陸上競技を始め、当初数ヶ月は短距離をやっていました。しかし、ある時練習で彼が走っている時、脚がよく身体の前でまわっているなぁと思いました。跳躍選手にとって、脚を身体の前でまわすことは、踏み切り動作において大変重要なことです。そこから走幅跳を始めました。走幅跳を始めた当初は5m半ばくらいしか跳べませんでしたが、秋には6m50まで記録を伸ばしました。その後彼はケガとの戦いを繰り返しながら、記録を伸ばしてきたのです。以下に2名の高校生からの記録の変遷を示します。 |
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丸山選手の場合、マイルメンバーとして高校3年生の都大会まで頑張ってきました。マイルのラップでは50秒台では走ったでしょう。更に400mHも54秒台で走りました。飯島選手は4継メンバーの2走として、また、100mの選手としてやってきました。100mの公認記録は11”20ですが、条件さえよければ10秒台が出てもおかしくない選手でした。2名の選手とも専門種目外の種目でもそれなりの結果を残しています。 2名の選手に共通して言えることがあります。それは 桐朋陸上部の選手達が最終的に目指すべきは、やはり、どう考えても、それはインターハイだと思います。南関東大会ではありません。厳しいと思ってしまう選手、そこまでは無理だと思ってしまう選手もいるかもしれません。しかし、そこを夢見て日々トレーニングを積むことと、そうでない場合では、最終的な記録にも差が出てきてしまうことでしょう。そして我々指導者側の問題としても、より高い目標をもって日々生徒と接することで、その雰囲気が陸上競技部内にできあがり、その結果、長い年月がかかろうとも、いつの日か、常にIHに出場し、入賞し、優勝する選手達が出てきてくれるはずだと信じています。 2名の選手達が、桐朋陸上競技部の新たな歴史の1ページを創ってくれました。本当にありがとう。そしてお疲れさまでした。
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